田中-永峰 良佑
/ Ryosuke Nagamine -Tanaka
疲れ果てた夜に忘れかけた夢を夢に見る
See you in the dream
西荻窪映像祭 2017
-不可分な労働と表現- 出品
大学院を卒業し、映像製作会社に入社した自分はいわゆる「社会人」になった。
今まで自分にあった殆どの「時間」が「仕事」という労働に奪われていくことに驚きを覚えた。それは会社や業務の良し悪しとかではなくて、もっと根本的な、この社会を生きていく多くの人の「人生」における問題なんだと思った。
もっといろんなことを知りたい
もっといろんなところに行きたい
もっといろんな人に会いたい
胸を突き上げるような熱い欲望を身体に抱えたまま、今日も同じ道を歩き、会社に向かっていく人が、あとどれだけいるのだろうと
思うと僕は体が A4 コピー用紙みたいにビリビリに破けてしまいそうだった。
PC を整理していて見つけた、中国を旅行した時の映像。僕はそんな旅のことすらすっかり忘れていた。
そんな中国の夜は、思い出の中を夢のように曖昧に浮かんでいた。
After I graduated, I joined a video production company.
I was amazed at the fact that most of my time deprived by the work.
I thought it is a fundamental problem in our "life" of many people who live in this society.
I want to know many things more!
I want to go to many places more!
I want to see many persons more!
my DESIRE like that was always in my heart and my body was going to tear like A4 paper.
Then, I found videos that when I traveled to China. and I completely forgot about such a trip.
The night in China was floating my dream ambiguously.
Nishiogikubo which I joined a video art exhibition is my local place.
When I was in elementary school, I played with my friends in a park in Nishiogikubo many times.
I want to continue thinking!
I don't forget the memories!
I want to keep dreaming even though this society is like a sleepless night!
フランスの思想家 シモーヌ・ヴェイユは、自身の労働経験の日々を著書「工場日記」の中でこう表している。
「ひどい疲れのために、わたしがなぜこうして工場の中に身をおいているのかという本当の理由をつい忘れてしまうことがある。こういう生活がもらたすもっともつよい誘惑に、わたしもまた、ほとんどうちかつことができないようになった。それは、もはや考えることをしないという誘惑である。それだけが苦しまずにすむ、ただ一つの、唯一の方法なのだ。
ただ土曜日の午後と日曜日にだけ、わたしにも思い出や、思考の断片がもどってくる。このわたしもまた、考える存在であったことを思い出す。」
西荻窪は、僕の地元だ。
小学校の頃、「ポンプ場公園」と呼ばれていた公園で友達と死ぬほど遊んだのを覚えている。
僕は、本当に小学生ぶりに地元の友達とポンプ場公園と呼ばれていた場所を訪れ、昔の話をしてみることにした。
疲れすぎて眠れない夜に、気づかないうちに忘れていく「思い出」や「思考の断片」をどうにか繋ぎ止めて、
夢の続きを見ていたいと思った。