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Czy wciąż mnie pamiętasz?​  (Do you still remember me?)(私のことまだ覚えてますか?)

performance,video 5min10s

半年ほどポーランドのウロツワフに留学していた。

ポーランドは、様々な言語や文化が行き交うヨーロッパの中でも、本当に複雑な歴史を歩んできた国の一つだと思う。

また、"エスペラント”というヒエラルキーのない世界共通言語を作ろうとしたルドヴィコ ・ ザメンホフ博士の故郷でもある。

 

 

そんな歴史の交錯した場所で出会った、 様々な言葉を喋れる友人たちと、数少ない言語でどのように関われるのだろうか。

僕は、うまく伝え合えられない中で、ずっと前に あなたにどこかで逢ったような、 そんなことがあればいいと思った。

そしてそれは本当に、あるような気がした。

 

 

I studied in Poland as an exchange student for about 5 months.

 

 Poland is the hometown of Dr. Ludoviko Zamenhofwho tried to make a world common language without "hierarchy",

It is the “ Esperanto".

 

I got a lot of friends in Poland.

Somehow I felt like I met with them somewhere long ago. I really thought so.

my life in Europe made me reconsider my physical identity.

 

観客だった友人に、 緑のテープを受け取ってもらい、

”顔に貼って”とお願いする。 友人たちは戸惑いながらもテー プを重ね姶める。

パフォ ーマンス中には様々な言語で友人たちが語りかける”私のことをまだ覚えていますか?”という声が流れる。

 

So, I gave my friend a tape and asked.

"Put it on my face"

I devoted myself to my friends.

 

Besides my performance, 

There was a video that speaks

"Do you still remember me?”

in various their languages.

「全体性と無限」エマニュエル ・ レヴィナス

絶対的に 他なるもの それが他者である。

それは自我と同じ度量衡をもっては計量することのできないものである。

私が あなたは あるいは私たちは と言う時の集団性は私 の複数形ではない。

私、 あなた、 それはある共通概念の個体化したものではない。共通の母国の不在、 それが 他なるもの を異邦人 たらしめている。

異邦人 は我が家に混乱をもたらす。 けれど異邦人 はまた自由なるものをも意味している。

なぜなら、 私は彼の上に権力を振るうことができないからである。 彼は私が彼を意のままにしているときでさえ、ある本質的な側面において、私の把持を逃れている。 所有は被所有物を否定しつつ生きながらえさせる。 だが、顔は侵犯不能である。

人間の身体の内でもっとも裸な器官である眼は、 絶対的に無防傭でありながら、 所有されることに対して絶対的な抵抗を示す。

この絶対的抵抗のなかに、 殺害者を誘惑するもの一絶対的否定への誘惑が読み取られる。

他者とは殺害の誘惑を掻き立てられる唯一の存在である。 殺した、 しかし殺すことができない。

これが顔のビジョ ンそのものを構成する。

顔を見ること、 それはすでに”汝殺すなかれ”の戒律に従うことである。

”汝殺すなかれ”に従うことは社会正義のなんたるかを理解することである。

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