田中-永峰 良佑
/ Ryosuke Nagamine -Tanaka
夢のなかの紫電改
SHIDEN-KAI of my DREAM
紙粘土、アクリル絵の具
clay,acrylic paint
video 15m30s
香川県に住む私の祖母 田中琴子[84]は、
戦争の時代を生きた。
1944年から45年の約1年間、
彼女が15歳のときに
「学徒動員」によって
兵庫県の川西航空へ送られ、
当時最新鋭の戦闘機 「紫電改」の
主翼を造らされていた。
My grandmother Kotoko TANAKA was forced to make
a fighter which name is”SHIDEN=KAI” by Empire of Japan
in the Second World War.
She was a girl aged fifteen then.
祖母の家を訪れ、
かつて造っていた 戦闘機 紫電改 を、これで造ってほしいと、大きな粘土の塊を渡す。
戸惑いながらも粘土をこねだす祖母の手の中で、
その記憶や、両手に、強烈に遺った
戦闘機 紫電改 が造形されてゆく。
殺人兵器でありながら、夢であり、憧れであり、青春の思い出のような存在でもある
祖母の中の「紫電改」を産み落として欲しかった
I gave her a big clay to create a fighter SHIDEN-KAI in her memory. I asked her it.
I meant, The fighter ”SHIDEN-KAI” is a murder weapon. But at the same time,
I felt It was also the symbol of a beautiful memory of youth to her.
「おばあちゃんは今でもまだ紫電改に、かっこいいとか憧れとか思ったりするの?」
”Grandma, Even now, do you still think it is cool? ”
「だけどもう、あんまり思わん。自分が造りよった!ゆう 生き甲斐 のようなものも無いし、
そうだったんや、っていう。…"夢"から醒めとるようなんかな 」
” I don’t really think so. I don’t have anything to be proud of the fighter anymore.
I just feel I made it, that’s it. As if... I wake up from my dream.”