田中-永峰 良佑
/ Ryosuke Nagamine -Tanaka
〜 一久兵長の
アゲ↑↑軍歌 泣き↓↓軍歌 BEST 3〜
Dear boy
video 30m00s
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私の祖父 田中 一久は、
”軍国少年”であった。
1944年、14 歳の時に
大日本帝国海軍を志願し
特別年少兵として
横須賀第二海兵団で訓練を受けた。
その後海軍経理学校に進学したため、
自身は戦場の前線で戦う事は無かった。
my grandfather KAZUHISA TANAKA was a militant nation boy in the Second World War.
He was a boy soldier of a navy at 14 years old.
当時の大日本帝国海軍の制服のコスプレ衣裳を祖父に着てもらう。
歌ったり聴いたりすると、気持ちの高揚する「アゲ↑↑軍歌」と、
逆にとても悲しく、切ない気持ちになる「泣き↓↓軍歌」の
BEST3を祖父の主観で選んでもらい、アカペラで歌ってもらう。
My grandfather said.
" I think that there are two kinds of martial songs.
One is the songs, mekes us be excited and gives us high spirits.
Another one is the song which makes us very sad and regrettable.”
Thus, I tried to call those songs " fucking exciting song" and" fucking sad song".
And I asked him to sing it in the costume.
「アゲ↑↑軍歌」では、海軍に胸ときめかせ、憧れた軍国”少年”の時の思い出
「泣き↓↓軍歌」では、戦死していった先輩達や、
沖縄戦により16歳で特攻戦死した同級生
「伊勢」という名の”少年”への記憶がおおく語られた。
I wanted to hear the relationship between propaganda and personal memory.
In “fucking exciting song", He told me his memories especially when he attracted to a navy and how the nation made him be so.
In "fucking sad song”, He told me his grief especially about his friend " Ise " who was passed away in the war,
and what his mother said to Kazuhisa aged 16 years old in front of his grave.
日本の右傾化が意識化される中で、
加害者であり被害者でもある、実際にその時を生きた人の思いは割り切れるものでないと思った。
ある胸のときめき、興奮、青春、また死んでいった先輩達への想い、
罪悪感、亡くなった友への追憶…
概念ではない「戦争」。
それらの割り切れずに引き裂かれそうな感情が、
その人のなかで共に遺されているのだと思った。
それをかたちにすることが、何よりいまやるべきことだと思った。
卒業制作展示風景
Graduation works view