top of page

展覧会 「泪の上で」

   Exhibition  "On the tears"

2014.8.2〜8.7

2014年8月 東京最大の日雇い労働者とホームレスの街である「山谷」の中心にある、

「泪橋」交差点の角にそびえるパブのビルの一室を借りて企画した展覧会。

東京藝術大学院の同期 山崎千尋 ユゥキユキ と合同で企画した。

 

この展覧会そのものがworksに入っているのは、

展覧会を行う場所、そこに人が見に来るという体験そのものに

強い意味を持って開催したからである。

There is an intersection of the name as “Tears bridge" in the center of "Sanya" which is a town with the most streetpeople in Tokyo.

We held an exhibition by one room in a building of the pub in the corner in an intersection of “Tears bridge".

 

this exhibition is one works.

Because it's a person presses the experience which comes for this place,

and it's significant experience.

展覧会 主旨文

 

 

『泪橋(なみだばし)』とはかつて江戸から明治初期まで存在していた『小塚原刑場』 に向い『思川(おもいがわ)』に架かっていた橋である。

 

罪人はその橋の上で、家族との別れを惜しみ、その家族もまた、死をもって罰せられ る罪人を前に、泪を流したという。だが近代化の中で、『思川』は埋め立てられ、それに伴い橋は姿を消した。現在、そこには交通の激しい灰色の交差点となり、『泪橋』 はその交差点の名前として、ひっそりと遺っている。

 

戦後最もヒットした漫画の一つである『あしたのジョー』よりコーチ丹下段平は『泪 橋』の事を、山谷(さんや)という東京で最も大きな日雇い労働者の街に架かってい た事から、「人生に破れ生活に疲れ果てたこのドヤ街に流れてきた人間達が泪で渡る 橋」と言い表した。そして彼はこう続けた。

 

「この泪橋を逆に渡り明日の栄光を目指そう」

 

望まずも『泪橋』を渡って仕事に向かった日雇い労働者や、かつて吉原遊郭の遊女、 刑場の執行人たちの“泪”を背にして、彼らは旅立って行ったのだ。

 

私たちが考えたいのは、彼らが背を向けた、その“泪”である。栄光という勝利の為 に置き去りにしたその“泪”である。

今、姿無き“泪”に触れることは、歴史の中で“勝利”とされてきたことや、“正し い”とされる生き方、或いは、“私”や“アート”を取り巻いてきた環境を、見つめ 直すことになるのではないだろうか。

 

かつての“泪”が染み付いた橋は、もうそこには無い。

この展覧会は『泪橋』をもう 一度架けること、なのだと思う。

私たちは“勝者”と“敗者”の間に架かるその 『泪橋』の上に立ち、そこからみえる“情景”を見つめながら、泪を想像する旅に出る。 

会場の窓から、丁度「泪橋」が一望できる。場所の歴史や気配を感じ取る中で、

今ではただのの交差点となった「泪橋」を見下ろす行為を

訪れた人はそれぞれに体験して、持ち帰る。

 

bottom of page